2025/10/25
🍄🍂三世代交流『地域めぐりウォーキング』🌰🌾
10月19日(日)、心配された天候も曇りで途中小雨もあったが最後まで持ち、無事開催できました。
今回も子供たちを含め約30人余りの方が参加して頂きました。
今回は「神社仏閣めくりパート2」として、昨年に続き北市・三清東地区のお寺・神社を巡りました。
受付を済ませて準備運動後、記念写真をパチリ📸、いざ出発~!チョット肌寒い日ですがウォーキング!!
最初は「北市神明宮」でお宮の歴史と本堂を見学、正徳年間(1711-1716)現在地に建てられた。天照皇大神・豊受皇大神が祀られている。神社内外の彫刻が貴重であるといわれており、中にある沢山の欄間は井波彫刻のものだそうです!!
続いて北市の「円勝寺」は、歴史も古く1170年以前、大道元年(西暦806年)に越中の国、砺波郡高瀬村に「高瀬山深宝寺」と称し真言宗の一寺として創立されたそうです。その後代々受け継がれ、真宗の教化を受け慶安2年(1649年)「古石山圓勝寺」の寺号を許され、古石山圓勝を築き現在に至っているそうです。
三清東地区は「清涼山了泉寺」です。建立(こんりゅう)は大永4年(1524)で、山号を清涼山(しょうりょうざん)、寺号を了泉寺(りょうせんじ)とする浄土真宗の寺院。初代住職は、蓮如(れんにょ)上人の門弟、善心坊で、500年ほどの歴史を持つ。現在の住職は19代目。
古くは寺子屋も開いて、必修小学校の時代には体操等に境内を使っていたということです。
最後に「山清天満宮」。「三清館跡」現地の案内板によると、武部豊後館跡とのことで、三清村十村武部氏の祖先で、その後数代に渡り高瀬の地を支配したという。天満宮本殿の棟札には、元亀年間(1570-1572)の記録があり古くからこの地にあったとのことです。
3時間ほどのウォーキングでしたが、地元の神社仏閣等のことを改めて知る機会となりました。
交流センターに戻りケガ等のないことを確認して、参加賞をもらって解散となりました。
参加の皆さん、お疲れさまでした~。また次回をお楽しみに~~(^_-)-☆
10月19日(日)、心配された天候も曇りで途中小雨もあったが最後まで持ち、無事開催できました。
今回も子供たちを含め約30人余りの方が参加して頂きました。
今回は「神社仏閣めくりパート2」として、昨年に続き北市・三清東地区のお寺・神社を巡りました。
受付を済ませて準備運動後、記念写真をパチリ📸、いざ出発~!チョット肌寒い日ですがウォーキング!!
最初は「北市神明宮」でお宮の歴史と本堂を見学、正徳年間(1711-1716)現在地に建てられた。天照皇大神・豊受皇大神が祀られている。神社内外の彫刻が貴重であるといわれており、中にある沢山の欄間は井波彫刻のものだそうです!!
続いて北市の「円勝寺」は、歴史も古く1170年以前、大道元年(西暦806年)に越中の国、砺波郡高瀬村に「高瀬山深宝寺」と称し真言宗の一寺として創立されたそうです。その後代々受け継がれ、真宗の教化を受け慶安2年(1649年)「古石山圓勝寺」の寺号を許され、古石山圓勝を築き現在に至っているそうです。
三清東地区は「清涼山了泉寺」です。建立(こんりゅう)は大永4年(1524)で、山号を清涼山(しょうりょうざん)、寺号を了泉寺(りょうせんじ)とする浄土真宗の寺院。初代住職は、蓮如(れんにょ)上人の門弟、善心坊で、500年ほどの歴史を持つ。現在の住職は19代目。
古くは寺子屋も開いて、必修小学校の時代には体操等に境内を使っていたということです。
最後に「山清天満宮」。「三清館跡」現地の案内板によると、武部豊後館跡とのことで、三清村十村武部氏の祖先で、その後数代に渡り高瀬の地を支配したという。天満宮本殿の棟札には、元亀年間(1570-1572)の記録があり古くからこの地にあったとのことです。
3時間ほどのウォーキングでしたが、地元の神社仏閣等のことを改めて知る機会となりました。
交流センターに戻りケガ等のないことを確認して、参加賞をもらって解散となりました。
参加の皆さん、お疲れさまでした~。また次回をお楽しみに~~(^_-)-☆
- 地域めぐりウォーキング(10.19)
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